【 EVENT / 東京AC 】History


Tokyo Adoult Children
通称 東京AC(2001〜2011)

2001.
イベント名は旧VAIWATTの曲『クソガキ』の歌詞からとってつけられた。
同バンドのBass斎藤浩治の出所パーティーの名目でバー青山で産声を上げる。
このパーティーをやるため主催のVAIWATTはキンコーズでフライヤーを5000枚コピー!
約5万円を請求されるとゆう「どんだけ無知なんだ?」作戦だったが、もったいないのでフライヤー全てを町中に撒いた!

当初、60人程度の出所ライブパーティーを想定していたが、「街でフライヤーをもらった。」だの、「ハウスで酒をおごらされた!」だので、人が人を呼び、結果122名が集まった。(中にはガチで苦情を言いにくる輩もいた。)

激しいライブにより、1名が足を骨折など、救急車が2台、負傷者3名とゆう事態で幕を閉じたが、何故か負傷者からイベントにお礼を伝えられた。
そんな幕開けだった。

9.11が起きて・・・
東京アダルトチルデレン
結成!!

2回目より、(旧)VAIWATT・エレキグラム・FUZE・GUM、DJ-TAKEを主軸とした東京AC-CREWを結成!
当時、仮想敵を「半ズボンで下手な英語でうたうメロコア」とし、出演バンドは初期PUNK、GRUNGE、ロックンロールがメインだった。

街でそれぞれが暴れて名を馳せた。
中でもフライヤー活動は尋常ではなく、原宿の交差点の歩道橋や、電車のつり革、デパート外壁まで! スペードACのフライヤーでに染まったことがある。
が、なぜかお上からのオトガメはなかった!!


2002.8月 1周年PARTY
六本木通り封鎖事件!!
イベントはお祭りムード、バー青山だけでなくストリート屋台や、階段バイクショーなど盛り上がりに事欠かない。
噂を聞き、名のあるミュージシャンや某音楽会社も出入りするように!
1周年を迎え、255名の入場を記録した。

だが、六本木通りがグラスまみれになったり、また暴走行為や道路逆走、しまいには主催者と挑戦者のタクシー追突により、パトカー10台出動の事態に!

以後、ここでのイベントは続行不可能となる。


ライブハウス新宿ドクターを経て
原宿GABIGABI時代へ!!


このあたりから、Tシャツが雑誌読者プレゼントになったり、原宿のSHOPでグッズを扱ってもらえる様になった。

バンドもロカビリーや、ミクスチャーも取り入れ、幅を広げて行く。

原宿GABIGABIでの平均動員は150人を保ち安定期に入る。
善し悪しあれど、
スペードは丸みを帯び!!


2002年頃、東京アダルトチルドレン出演バンドの「A-SIA(名古屋)」の主催により、のれんわけした『名古屋チルドレン』とゆうイベントが始まる。


同じスペードをモチーフにした『横浜アダルトチルドレン』なるイベントが派生。挨拶もないのでXXXXそうと息巻くクルーをよそに、こちらは自然消滅した。


未だにクエスチョン?なコト
「この頃にACが掲載された媒体デス。いまだ謎?」
 ・ファッション誌『キューティー
 ・ボーダフォン(現Softbank『ボーダフォンカタログ
 ・バイク誌『モトボーイ』見開き1〜2page
 ・TV 『某昼ドラ』
 ・高田馬場の『某精神科』AC研究のコラムで紹介
番外編 (数年前・・・)
 ・アメリカ『某大学教授のAC研究家のブログ』で「チェコりんご-PV」掲載。「消せ!」



新宿URGA事件!! AC終了?
???
AC復活もURGAで♤ 
???


渋谷GIG ANTIC〜
???

後期AC〜
渋谷ChelseaHotelマンスリー
&渋谷GabiGbaiでの毎週水曜


2011年。
この年、東日本震災、ビン・ラディン死亡、キム・ジョンウン体制の始まり。
そして
東京アダルトルドレン解散!


つづきは
不定期更


情報求む!

AC一夜復活委員かい?

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